2011年3月23日水曜日

3/21 石巻遠征の報告と、考える今後のこと

3/21の昼頃から 仙台で美容院を経営している本郷さんとともに
石巻へと遠征してきました。

詳しい流れは本郷さんのブログ

緊急車両の認可をもらった(審査は無かったけど今後台数が増えていくと審査が始まるかも)
ので

高速道路にのり

仙台宮城→富谷JCT→石巻河南というルートで行きました。

沿岸に近づいてくると
田んぼや畑にたくさんの海水、ヘドロが。 


そして
高速を降りて石巻市内にはいると
仙台や内陸では絶対に見ない光景が広がっていました。






傾いた電柱 
 折れたものも



卒業アルバムも


とにかく車が流されているのを見るとすごく違和感・恐怖感があります。
家の中に車が入ってるのをよく見ました。

こちらが動画。



そのあといくつか学校を回ったのですが

1.万石浦中学校(700人規模の避難所+周辺住民1000人来る らしい)※写真なし
とにかく食糧がたりないらしい。衣料品は足りていると言われた。マスクや衛生用品でも喜ばれた。
担当職員の方が「こちらは全て無償でもらえるのでしょうか(苦笑)」と仰っていたのが気がかり。
有償のボランティア団体が居たのだろうか。


2.渡波中学校(80人規模)

小規模かつ、近くに大きな避難所があるため、物資は足りていると言われ門前払い。

この学校周辺の写真を撮ってみました。

校門 

木に椅子 

移動は自転車か徒歩(当然といえば当然なのかもしれないけど・・・) 

 黒板消し


3.渡波小学校(1000人規模の小学校)

大きな学校で車もたくさんあった。どうやら物資は足りている様子でこちらも門前払い。


この時点で「物資は闇雲に回るのではなく、事前に必要な場所へと配った方がいい」という結論に。
あとは、自宅やご近所さんのつながりに期待する、というものだった。



このあと僕らは、少し移動。
有名な「石ノ森萬画館」周辺

このあたりでは自宅に暮らしてる方が多かった。
お年寄りが外で草木で火を焚いていたので、何をしてるのですか?、と訪ねたところ
「飯を炊いてるんだよ」とのこと。

こちらの地区でも物資を配らせていただいた。
 ものすごく喜んでもらえた。
その顔を見るだけで、良いことをしているはずなのに、胸が苦しかった。



その後、場所を移して後半 大街道 という地域へ。

同乗者の方の知り合いの方から、困っているという連絡を頂いたので
その情報を元にiPhoneのマップで検索して到着。

※マップ機能は慣れない街では本当に便利です。無駄にガソリンを消費しないためにも
現地に詳しい人が居ない場合は必ずケータイの地図機能を使えるように。
(カーナビよりも詳細で、歩きながらでも使えるから)

到着すると、そこの住宅はみな水があったラインがくっきりと壁にうつってた


このあともう一軒にもおじゃましたのだけど、現地の人の話を聞いていろいろなことが分かった
かんたんにまとめると

1.夜は物騒
まず、見た限りですが全てのコンビニ、お店は窓ガラスが割られていた。
 全てである。

セカンドストリートはすっからかんのからっぽ。
セブンイレブンもATMが壊されて。
また、民家も玄関や窓にブルーシートをガムテープで貼っているところが多く、
盗難、強盗に夜な夜なおびえているとのこと。

その方(物資の届け先)も、女性ながら夜は毎晩木刀を置いて寝ているらしく
「昨日はとなりの家が入られて・・・」
「こないだ向こうの家の人が刺されて・・・」
「一回強盗に出会って応戦したんだけど逃げられちゃって・・・」
なんて話が絶えなかった。すごい、もう慣れていたようだった。
けど・・顔がすごくやつれていたように見えた。

組織で動いている可能性が高く、小学校などの避難所にいて昼間は物資をもらっては
夜な夜な外に出ているのでは、という話もあった。


2:必要な物資と必要でない物資
まず、食糧は絶対必要。絶対たくさんあればあるほど喜ばれる。

そのほか必要と言われたモノは
・長靴(泣くほど喜ばれた)などの靴類:流されたようだ。中にはビニール袋を足につけて生活していることもあるそう。

・ビニール袋など、生活用品や衛生用品:ゴミを捨てるのが大変で、処理をするにも捨てる場所がないとのこと。確かに、大街道小学校の中はどこもひどいにおいがした。清潔な環境を作るために、衛生用品も必要。(マスク・除菌剤・せっけん・掃除用品etc)

・復興のための物資:例えばスコップや土木作業用のツール。軍手など。
街中はヘドロだらけで、至る所でヘドロの除去作業が行われていた。
地元の人々は復興を強く望んでいる人が多かった。この町を再び漁港として復活させたいという思いが、僕は感じられた。だから、被災者を生かし、守るだけでなく、復興のための支援も必要と思った。


他、細かい部分は聞いて欲しい。
食糧は、生米は要らないと言われた。おにぎり、パンが良い。

あと、何も物資がないという報道もあるようだけど
実際には水は十分で、要らない、と言われることもあるよう。
情報はテレビではなく現地に行った人から聞きましょう。


最後に、被害の酷かった南浜地区












こちらも動画

このかき分けられた瓦礫のなかには
まだご遺体が埋まっているようで
探しに来ているご遺族の方々もいらっしゃった。 

目に映る景色はどれもグレーがかっていた。



最後に物資を運んだ青葉中学校


たくさんの安否情報が張り出されている。

今のネット上の情報もこんな感じだと思った。

色とりどりの文字や紙色で
たくさんの情報が



これから必要になってくる情報は
「復興のための情報」と
「日本が安定して存続していくための情報」だと思う。

でも、長いスパンでモノゴトを見るためには
心の余裕がないといけないから。

そこにエンターテイメントがあったり、
パーティがあったり、
お祭りがあったりして、
経済を回して、日常をとりもどすのはいいのだけど。

東北で、茨城で、こういう風に沿岸で生活している人がいることを忘れちゃいけない。


復興≠忘却



長文失礼しました。次回は原発と世論と経済についてちょっと考えます。

天気が良いと気持ちがすっきりしていいですね。

リンゴでもかじりながら散歩してきます。