2011年6月2日木曜日

2011年4月11日月曜日

ひまわり作戦について

震災直後はトモダチ作戦なるものが活躍しましたが
自分もがむしゃらにうごいてみることにしました。
ちょっと前に作ったやつなので情報が薄いかもしれませんが
ぜひご覧になってください。


ひまわり作戦素案


ぜひご意見ご感想をいただければと思います。

2011年3月23日水曜日

3/21 石巻遠征の報告と、考える今後のこと

3/21の昼頃から 仙台で美容院を経営している本郷さんとともに
石巻へと遠征してきました。

詳しい流れは本郷さんのブログ

緊急車両の認可をもらった(審査は無かったけど今後台数が増えていくと審査が始まるかも)
ので

高速道路にのり

仙台宮城→富谷JCT→石巻河南というルートで行きました。

沿岸に近づいてくると
田んぼや畑にたくさんの海水、ヘドロが。 


そして
高速を降りて石巻市内にはいると
仙台や内陸では絶対に見ない光景が広がっていました。






傾いた電柱 
 折れたものも



卒業アルバムも


とにかく車が流されているのを見るとすごく違和感・恐怖感があります。
家の中に車が入ってるのをよく見ました。

こちらが動画。



そのあといくつか学校を回ったのですが

1.万石浦中学校(700人規模の避難所+周辺住民1000人来る らしい)※写真なし
とにかく食糧がたりないらしい。衣料品は足りていると言われた。マスクや衛生用品でも喜ばれた。
担当職員の方が「こちらは全て無償でもらえるのでしょうか(苦笑)」と仰っていたのが気がかり。
有償のボランティア団体が居たのだろうか。


2.渡波中学校(80人規模)

小規模かつ、近くに大きな避難所があるため、物資は足りていると言われ門前払い。

この学校周辺の写真を撮ってみました。

校門 

木に椅子 

移動は自転車か徒歩(当然といえば当然なのかもしれないけど・・・) 

 黒板消し


3.渡波小学校(1000人規模の小学校)

大きな学校で車もたくさんあった。どうやら物資は足りている様子でこちらも門前払い。


この時点で「物資は闇雲に回るのではなく、事前に必要な場所へと配った方がいい」という結論に。
あとは、自宅やご近所さんのつながりに期待する、というものだった。



このあと僕らは、少し移動。
有名な「石ノ森萬画館」周辺

このあたりでは自宅に暮らしてる方が多かった。
お年寄りが外で草木で火を焚いていたので、何をしてるのですか?、と訪ねたところ
「飯を炊いてるんだよ」とのこと。

こちらの地区でも物資を配らせていただいた。
 ものすごく喜んでもらえた。
その顔を見るだけで、良いことをしているはずなのに、胸が苦しかった。



その後、場所を移して後半 大街道 という地域へ。

同乗者の方の知り合いの方から、困っているという連絡を頂いたので
その情報を元にiPhoneのマップで検索して到着。

※マップ機能は慣れない街では本当に便利です。無駄にガソリンを消費しないためにも
現地に詳しい人が居ない場合は必ずケータイの地図機能を使えるように。
(カーナビよりも詳細で、歩きながらでも使えるから)

到着すると、そこの住宅はみな水があったラインがくっきりと壁にうつってた


このあともう一軒にもおじゃましたのだけど、現地の人の話を聞いていろいろなことが分かった
かんたんにまとめると

1.夜は物騒
まず、見た限りですが全てのコンビニ、お店は窓ガラスが割られていた。
 全てである。

セカンドストリートはすっからかんのからっぽ。
セブンイレブンもATMが壊されて。
また、民家も玄関や窓にブルーシートをガムテープで貼っているところが多く、
盗難、強盗に夜な夜なおびえているとのこと。

その方(物資の届け先)も、女性ながら夜は毎晩木刀を置いて寝ているらしく
「昨日はとなりの家が入られて・・・」
「こないだ向こうの家の人が刺されて・・・」
「一回強盗に出会って応戦したんだけど逃げられちゃって・・・」
なんて話が絶えなかった。すごい、もう慣れていたようだった。
けど・・顔がすごくやつれていたように見えた。

組織で動いている可能性が高く、小学校などの避難所にいて昼間は物資をもらっては
夜な夜な外に出ているのでは、という話もあった。


2:必要な物資と必要でない物資
まず、食糧は絶対必要。絶対たくさんあればあるほど喜ばれる。

そのほか必要と言われたモノは
・長靴(泣くほど喜ばれた)などの靴類:流されたようだ。中にはビニール袋を足につけて生活していることもあるそう。

・ビニール袋など、生活用品や衛生用品:ゴミを捨てるのが大変で、処理をするにも捨てる場所がないとのこと。確かに、大街道小学校の中はどこもひどいにおいがした。清潔な環境を作るために、衛生用品も必要。(マスク・除菌剤・せっけん・掃除用品etc)

・復興のための物資:例えばスコップや土木作業用のツール。軍手など。
街中はヘドロだらけで、至る所でヘドロの除去作業が行われていた。
地元の人々は復興を強く望んでいる人が多かった。この町を再び漁港として復活させたいという思いが、僕は感じられた。だから、被災者を生かし、守るだけでなく、復興のための支援も必要と思った。


他、細かい部分は聞いて欲しい。
食糧は、生米は要らないと言われた。おにぎり、パンが良い。

あと、何も物資がないという報道もあるようだけど
実際には水は十分で、要らない、と言われることもあるよう。
情報はテレビではなく現地に行った人から聞きましょう。


最後に、被害の酷かった南浜地区












こちらも動画

このかき分けられた瓦礫のなかには
まだご遺体が埋まっているようで
探しに来ているご遺族の方々もいらっしゃった。 

目に映る景色はどれもグレーがかっていた。



最後に物資を運んだ青葉中学校


たくさんの安否情報が張り出されている。

今のネット上の情報もこんな感じだと思った。

色とりどりの文字や紙色で
たくさんの情報が



これから必要になってくる情報は
「復興のための情報」と
「日本が安定して存続していくための情報」だと思う。

でも、長いスパンでモノゴトを見るためには
心の余裕がないといけないから。

そこにエンターテイメントがあったり、
パーティがあったり、
お祭りがあったりして、
経済を回して、日常をとりもどすのはいいのだけど。

東北で、茨城で、こういう風に沿岸で生活している人がいることを忘れちゃいけない。


復興≠忘却



長文失礼しました。次回は原発と世論と経済についてちょっと考えます。

天気が良いと気持ちがすっきりしていいですね。

リンゴでもかじりながら散歩してきます。


2011年3月21日月曜日

長文 意見】よく転載されているメディアへの抗議文とそれに関する個人的な考察(入り口のみ。深い意見はやりとりでお願いします。)

【各メディア様へ お願い】というタイトルで書かれた福島在住の大学生の日記を 


僕なりにアレンジして、レポートとして載せてみます。 

1.物資の輸送に関する連絡が中途半端である 

「都内よりも被災地のことをもっと考えなければならない。」とテレビでコメントはするが、実際の被災地の具体的な映像はほとんど流れない。津波の映像ばかりでは先に進まない。 
 ☆被災地にもいろいろ種類がある。地震で崩壊した場所。津波で壊滅した場所。原発で避難した場所。原発で屋内退避している場所。原発を恐れ、いつ避難しなければならないかと日々心配しながら生活している場所。また、その被害が重複している場所。死者が多く出た場所。死者はあまり出ていないが、病院等がなく、瀕死の状況で人々が救助を待っている場所等々、いろいろである。その詳しい状況が伝わっていない。 

→これにはツイッターの使い方にも問題があると思う。 
ただRTするだけではなく、直接連絡することが大切ではある、が、その連絡も当人か当人の家族がやらなければ、情報の価値は、低い。受け手からすれば、似通った100個のあいまいな通報より、1個の当人からの情報の方が、無駄に動かなくても確実に結果が出せる。 
ツイッターの弊害である。よってこれからは情報元はきちんと示すべきだ。どのアカウントの本人からなのか、家族からなのか、友人からなのか。 
RTは責任を持って行ってほしい。 



2.ガソリン供給を焦りすぎ 

 ☆被災地では夜中からガソスタに並び、いつ開くか分からないガソスタの開店を待っているのが現状。3時間、4時間などまだいい方である。車が動かず、あちこちに止まっている車も多い。車から車へホースを使ってまでガソリンを給油している。都内ではそこまでではないだろう。都内の困っている状況どころではないことをどうやって伝えたらいいのか。被災地の本当の姿をもっと伝えるべきである。伝え方をもっと考えるべきである。 

→これに関しては、僕は早い段階(被災二日目)でRT希望のツイートをした。 
都内と比較するのはあまり良くないと思う。「都内は都内で経済をまわす」という役目があるから。 
ただ、被災地(特に沿岸と物資のポイントになる場所)を優先してほしい気持ちは強い。仙台中心部など、比較的被害の少ない場所は援助する車や車内泊の車以外は給油に並ぶべきではない。中心部ではほとんどの避難所が10kmくらいなら歩けば必ず手に入るスーパー、八百屋、魚屋がある。今は車に利便性を求めるべきではない。 
 僕の先輩の師匠が個人でガソリンを7000リットル購入した。すべて、現地への供給と物資輸送に使うそうで、既に今この瞬間も宮城県内をかけまわっている。また、ガソリンの供給も3倍になるようなので来週末にはかなりの余裕が生まれるだろう。時間がある人はあと1週間我慢して待ってほしい。 


3.計画停電について 
 ☆都内の計画停電の目的を分かっていない人が多すぎる。マスメディアは、その詳しい内容を伝えるべきである。特に首都圏の人々。福島県のために原発があったわけではない。関東に電気を送るために原発がある。それなのに首都圏の人々は簡単に「被災地のために協力します」などという。協力とは、何なのか、具体的に伝えるべきであるし、政府もそうすべきである。かっこいい表現や品のいい言葉で説明しても分からない。今、どうすべきなのか、具体的に一つ一つ説明すべきだ。簡単に都内の混乱をテレビで流すのはおかしい。 
 ☆特に福島県浜通り(いわき市)では、物資も届かない、水も電気も出ない。ガソリンもない。せっかく出向いたトラックも原発のことを聞いただけで引き返してしまう。風評被害がかなりある。そのような状況をもっと報道してほしい。報道の量の分配を考えるべき。何をどれだけ報道すべきなのか。優先順位を考えるべき。 
 ☆・被災地の感動のドキュメントを報道するのはかまわない。しかしそれだけでは被災地の詳しい被災状況が全国に伝わらない。それなら首都圏で買い占めをしている人をたしなめるようなインタビューでもしたほうがいい。 
 原発の仕組みを長々と報道するより、なぜ福島原発ができたのか、その根本的な目的をまず改めて報道してほしい。 

 ☆つまり、「計画停電で首都圏は大混乱」という報道がよくされているが、それはかまわない。しかしそう報道するなら、「そもそもなぜこのようなことになったのか」「今どんな行動をとることが一番被災地のためになるのか」をもっとしっかりと伝えなければならないのでは??「買い占めしてました」「不安が広がってるようです」「ガソリンにも長い列です」だけで終わっていては駄目!!!!それを見る被災地の人の気持ちにもなって!!報道の役割はそこにあるはず。 



→これについては、「ヤシマ作戦」というネーミングで関東の友人達が頑張っているのをよく見る。そのモチベーションはすごくポジティブで素敵だと思う。 
確かに今関東が計画停電をしているのは福島原発など「東京電力の管轄下の発電所」が機能していないからで、東北電力はいっさい迷惑をかけていない。むしろ、その福島原発の復旧のために東北電力がつくった電気を関東に送っている。 
 「なんで東北の事故を関東が尻拭いせにゃならんのだ」という人がたまにいるがそれは勉強不足だ。そもそも原発なんていう危険な爆弾を東北に置いたのは東京人だ。それによって、福島の農産物が東京人や他県の人に差別されるのは許せない。まして、現状では農産物だけじゃなく、福島のヒトですら差別されている。これはいかがなものか。 
 自分の身近な世界だけではなく、「自分がなぜこの環境で生きて行けるのか」 
くらい知っておくべきだ。これは僕が痛感したことでもある。 




長文失礼しました。多くの方にご意見を頂きたいので、コメントをお願いします。 


2011年3月21日 0:55      
GIN

2011年3月19日土曜日

3/20用 医療機関まとめ





住所情報が欲しい方はこちらへ http://aufhebenism-gin.blogspot.com/2011/03/blog-post_6840.html


【休日当番医】




●黒川郡=20日 ちば小児科医院(富谷町)21日 吉岡QQクリニック 


●名取・岩沼・亘理・山元・歯科=20日 塚辺歯科医院(岩沼市)21日 荘司歯科医院(名取市) 


●栗原市 20日 ささき産婦人科クリニック、高橋ハートクリニック 21日 佐々木内科医院、愛歯科矯正歯科 


●登米市 20日 佐藤内科医院 


●塩釜市 21日 明石病院 


●塩釜地区休日急患診療センター=21日まで内科、小児科のみ午前8時半~午後4時半受け付け。


【利府町】
●宮城利府掖済会病院=20、21日は応急、救急のみ。22日は通常診療。


【大和町】
●公立黒川病院=21日まで休診。22日は午前8時半~11時半受け付け。


【富谷町】
●佐藤病院=19~21日休診。22日以降は当面、かかりつけ患者のみ対応で受け付けは午前9~正午。


【涌谷町】
●町国保病院=連休中、連休明けとも午前9時~午後5時、軽症のみ。


【大河原町】
●みやぎ県南中核病院=21日まで重症患者のみ。一般外来、人工透析は不可。


【柴田町】
●永沼整形外科内科=21日まで休診。22日午前8時半~正午、午後2時~5時受け付け


●仙南中央病院=当面休診


●船岡今野病院=21日まで休診。22日午前8時半~正午受け付け。


【川崎町】
●国保川崎病院=21日まで休診、軽症急患のみ受け入れ。22日は午前8時半~正午、午後1時~4時受け付け。


【丸森町】
 ●丸森病院=当面は急患のみ。


【白石市】
●公立刈田総合病院=救急優先


●白石今野病院=21日まで休診。22日は午前8時~11時半、午後1時半~4時半受け付け。


【蔵王町】
●国保蔵王病院=軽症急患は受け入れ 


【岩沼市】
●小島病院=21日まで休診


●スズキ記念病院=21日までは午前10時~午後4時、産科、お産は通常通り。婦人科は軽症のみ。22日は通常の午前9時~正午、午後2時~5時半受け付け


●総合南東北病院=21日までは救急優先


●ベーテル病院=21日まで休診。22日は午前8時半~11時半受け付け。


【名取市】


●県立がんセンター=21日まで休診、22日は緊急検査、診察、投薬は実施予定。受け付けは午前8時半~11時。急患は随時


●東北国際クリニック=21日まで24時間態勢で内科、外科診療


●名取中央クリニック=21日まで休診。22日は午前8時半~正午、午後1時半~5時受け付け、歯科は休診。


【気仙沼市】
●気仙沼市立病院=21日まで急患のみ


●大友病院=21日まで午前診療、内科軽症のみ。投薬は4日分。22日は午前8時~午後5時受け付け


●三峰病院=21日まで休診。精神科の投薬は21日午前中は可能。22日は午前8時~11時半、午後1時半~3時受け付け。投薬中心の診療予定。


【塩釜市】
●坂総合病院=22日までは急患対応と再来患者の薬処方(午前9時~11時半受け付け)


●塩釜市立病院=21日までは急患のみ。22日は通常診療で受け付けは午前7時半~11時半、午後は内科のみで1時~3時半。科目によっては休診も


●緑ケ丘病院=21日まで休診、急患のみ。22日は通常通り受け付けは午前9時~11時半、午後1時~4時


●明石病院=21日まで急患のみ。22日は通常通り受け付けは午前9時~正午、午後2時~5時半。


【登米市】
●石越病院=21日まで休診。22日の受け付け午前8時~11時。午後は急患のみ


●米谷病院=21日まで急患のみ、薬の処方は午前8時半から夕方まで受け付ける。22日通常


通り午前8時半~11時半受け付け。状況に応じて被災者のみ診察することも●佐沼病院=21日まで救急態勢で受け入れる。日中は小児科も。22日は通常通り受け付けは午前7時~11時。


【大崎市】
●大崎市民病院=21日まで外来は休診。急患は常時


●同岩出山分院=21日まで外来は休診。急患は午前のみ


●同鳴子温泉分院=21日まで急患のみ


●同鹿島台分院=軽症の急患のみ


●古川民主病院=20日は再来のみ。21日は急患のみ


●佐藤病院=20、21日午前10時~正午、内科の軽症のみ


●徳永整形外科=21日まで休診


●古川緑ケ丘病院=21日まで休診


●古川星陵病院=20日午前9時~午後9時、軽症のみ。21日は再来の処方のみ


●三浦病院=21日まで休診


●木村病院=21日まで休診


【栗原市】
●栗原中央病院=重症の急患のみ


●若柳病院=急患のみ


●栗駒病院=急患のみ


●県立循環器・呼吸器病センター=急患のみ


●石橋病院=20日内科の急患のみ。21日内科と心療内科の急患のみ


●達内科小児科クリニック=20、21日は人工透析のみ


●くりこまクリニック=21日まで休診





3/19用 医療機関(更新用)住所はのってません

住所付きはこちらへ→ http://aufhebenism-gin.blogspot.com/2011/03/blog-post_6840.html







生活情報【医療】 



【仙台市青葉区】


●東北大病院=重症の急患のみ常時受け付け


●県立こども病院=21日まで小児急患を常時受け付け


●東北労災病院=21日まで一般外来は休診。急患は中等症まで常時受け付け


●東北公済病院=21日まで、軽症の急患のみ常時受け付け


●仙台逓信病院=21日まで外来は休診。急患は常時。要連絡


●仙台社会保険病院=21日まで一般外来は休診。一部診療科の急患を常時受け付け


●市北部急患診療所=3月末まで休診予定


●仙台厚生病院=19、20日は循環器、呼吸器、消化器の3科の急患を常時受け付け。外来は休診。21日は通常通り。


●早坂愛生会病院=19日は通常通り。20、21日は休診


●広瀬病院=19、20日は午前9時~正午、新患は軽症のみ。処方は1週間程度。21日は休診


●内科佐藤医院=19日は通常通り。20、21日は休診


●永井産婦人科=19日は通常通り。20、21日は休診


●光成会宮城中央病院=19日午前8時半~11時半、処方のみ。20、21日は休診


●東北会病院=21日まで休診


●貝山中央病院=19日午前8時半~午後0時半、内科、整形外科の軽症のみ。20、21日は休診


●木町病院=20日は休診。19、21日は通常通り


●伊藤病院=19日は午前9時~正午。20、21日は午前9時~正午、軽症の急患のみ


●台原高柳病院=19日は通常通り。20、21日は休診。


●東北公済病院宮城野区分院=21日まで休診


●中嶋病院=19日は通常通り。午後6時~20日午前0時は軽症の急患のみ。20、21日は午前9時~翌日午前0時、軽症の急患のみ


●自衛隊仙台病院=午前8時~午後8時、内科、外科、小児科、整形外科、歯科。午後8時以降は軽症の急患のみ


●青葉病院=19日は午前9時~正午、再来のみ。20、21日は休診●安田病院=21日まで軽症の急患のみ


●光ケ丘スペルマン病院=当面休診


●東北厚生年金病院=21日まで休診


●岩切病院=19日は通常通り。20、21日は午前9時~午後6時、内科の軽症のみ


●仙台オープン病院=21日まで中等症までの急患を常時受け付け。22日からは通常通り。化学療法のみ一部制限。


●市急患センター=19日午後2時45分~11時、内科、外科、小児科。20、21日午前9時45分~正午、午後1時15分~5時は眼科や整形外科などを加えた7科で診療。午後6時~11時は内科、外科、小児科


●仙台市立病院=21日まで、内科、小児科の一般外来を行う。午前9時~正午


●NTT東日本東北病院=21日まで内科のみ急患を中等症まで受け付け


●仙台整形外科病院=21日まで休診


●河原町病院=19日は午前8時半~午後0時半。20、21日は休診。



2011年3月16日水曜日

mixiより転載

私情ですが僕の友人がNYでチャリティーイベントを主催し、頑張ってくれました。
成功したようなのでその様子を貼らせてもらいます。

My friends in NY held a charity event.
The following  is that.


『自分が今日出来たこと、これからできること』
What I could today ,and what can I do in the future.


フォト

フォト

今日は「日本の為に」初めて自分の力を最大限に発揮出来た日でした。 

我がCUNY Baruch Collegeの生徒会、Japan Culbが合同で行ったチャリティイベント、 
ぶっつけではありましたが、自分も主催側で参加させて貰いました。 

今震災を利用した義援金詐欺があるとの事で、NYでは警察各局の許可が無いと個人での募金活動は出来ないと言う事で前の日記で言った募金活動は出来ませんでした。 

不謹慎にも程がある詐欺ですよね。 

でも嬉しいことに、昨日作ったボードを使って、Japan Clubのメンバーと共に学校内で声を張って募金を募った所、 

自分の想像を超えた多くの人からの支援があり、驚きと感動を覚えました。 

特に今日あった2つの授業の最後に、教授に頼んで募金についてのお願いをしたところ、 
どちらも生徒数2~30人程のクラスでしたが、何と全員が立ち上がって自分の持っていた募金BOXにお金を入れてくれました。 

中には惜しまず1人で$40も入れてくれた人もいました。 

たった2つのクラスでの個人の募金活動の結果は約$100。 

その全員が$1以上寄付してくれた事になり、 
1人1人のNY市民の日本を救いたい、という気持ちに心を動かされました。 

クラブの方にお聞きした所、昨日一日(月曜日)だけで$1800もの募金があったそうです。 

参加人数が増え、大きなイベントのあった今日から、更に募金総額はもっともっと増えているはずです。 
今日の結果についても明日の活動の際に聞こうと思います! 

そのイベントでは、カフェテリアを貸し切り、予想以上の大規模でのチャリティ活動が行われました。 

自分も唯一の宮城県出身者として、被災地の状況、自分の心境、NYにいる自分達に出来る最大限の手助けについて語りました。 

TVの取材もあり、勿論死ぬほど緊張したけど、人生で初めて故郷を思う気持ちが緊張に勝った瞬間でもありました。兎に角少しでも自分の思いを伝えなければ、その一心で、30分前に急いで作った原稿も心を込めて読みあげました。 

結果、沢山の拍手と涙に包まれ、多くの方に共感を頂きました。 

今週いっぱい続く募金活動、まだ終わってはいませんが、自分出来る精一杯の事をやり遂げた日でした。 

イベント終了後も、友達、そうでない人関係なく温かい言葉を掛けられ、涙が出そうになりました。 

Baruchはアメリカで最も多くの国からの学生が集う大学であり、国に関係なく手を取り合って日本の為に悲しむ姿は、大げさかもしれませんが、世界の国々の団結を表しているようでした。 

日本はこんなにも愛されているんです。 

日本人に会ったことのない人も、日本人が知らない国の人も、涙を流してその優しさの欠片を募金BOXに「日本の為に祈っている」の一言を添えて捧げてくれます。 

自分が日本を後にし、留学に出た意味、答えを垣間見る事の出来た貴重な一日になりました。 


日本の為に心を込めて歌ってくれた歌手の方。会場を後にする時、インタビューに応える俺の手を握り、「良いスピーチだった」と言ってくれました。感謝感謝です。 

自分でも終わった後に知ったのですが、スピーチの内容は国内のニュースを通じて全米に報じられ、
フジテレビのインタビューは放映元がテレビ東京になりますが、 
明日の「FCI Morning EYE」という番組で日本に向けて報じて頂けるそうです。リンク↓ 
http://www.ttvusa.com/NWS_exp.php 

特にフジテレビのインタビュー内容は、アメリカ全土に住む日本人の人に対する訴えを主にしているので、微力ではありますが、これを通じて更に多くの義援金が集まるきっかけになれるなら、これ程嬉しい事はないです。 

地元にいるみんなに届くかな。両親や親せきに見せたら少しは安心して貰えるだろうか。成長を感じて貰えるだろうか。 

仙台での放送は自信がないので、撮って頂いたスピーチの動画、内容を下に日本語訳と共に貼ります。 
りなちゃん本当に有難う! 

明日からも精力的に募金活動に励もうと思います。日本の皆さん、アメリカは、世界は日本の味方です。それを伝える掛け橋に、これからもなれるよう全力を注ぎます。応援宜しくお願いします。 


以下、スピーチ原文。 

「 Hello, my name is Kensuke Abe. 
I am studying at CUNY Baruch College as a business student. 
Last Friday, I was studying for an exam that I was supposed to take the next morning. 
I randomly clicked on Yahoo! news, and stunned for a minute. 
I was not able to think about anything, because I realized that the news said that one of the prefectures that got the worst damage was my home prefecture, Miyagi. 
One fortunate thing is that my family members were not hurt. However, as the time goes on, more information comes in, both good and bad. 
Some of my friends lost their houses or cannot go home because of the road condition and traffic, and are still staying in shelters. 
They are surviving each day, helping each other with limited amounts of food and clothing in the cold weather. 
I still cannot believe that stores I have been to and shopped at, a beach I used to go with my High School friends in the summer, a hotel I stayed in last summer with nice view of the sea, are gone and have turned into bunches of wooden, concrete pieces and I will not able to see them anymore. 
The number of people who died or still have not been found continues to rise each day, and as of today, it reached 10 thousand. 
460,000 people, including acquaintances and friends need food, clothing, and supplies. 
I did not experience this disaster, but cannot stand here doing nothing while my friends are trying to survive each day, waiting for help. 
By a simple calculation, I found that, if each of us in NYC donates $1 to any fund of this kind, NYC can make $8 million to help Japan. 
Thank you very much for Listening. Please donate whatever you can to help my friends and country. Thank you.」 

以下、日本語訳。 

「こんにちは、皆さん、私の名前は阿部謙介と言います。 
NY市立大学バルーク校でビジネスを学んでいます。 

先週の金曜日、私は次の日の朝の試験に備え、テスト勉強をしていました。 
何気なく開いたYahoo!の地震速報を見た瞬間、思わず硬直してしまいました。 
最も被害が大きかった被災地が、自分の故郷である宮城県だと知った瞬間から、何も考える事が出来なくなるくらい、頭の中が真っ白になりました。 

不幸中の幸い、家族や友人に大きな怪我は殆どありませんでしたが、時間が経つに連れ、様々な情報が報じられました。勿論良い事も悪い事も含め。 

友人の中の数人は帰る家を無くし、交通の問題や道路状況により、家に帰る事もままならず、避難所での生活を今も強いられています。 
彼らはその日その日を、限られた食料と衣料で、寒空の下必死に生き抜いています。 

買い物に行った店、高校の頃友達と遊んだ海岸、つい昨年の夏訪れた海の見える旅館、それらが全てがれきの山に変わり果て、もう見ることの出来ないものになってしまっている事が、未だに信じられずにいます。 

そんな中、災害による死者、行方不明者の数は日に日に増える一方です。 
今日の時点でその数は1万人を超え、知り合いを含めた46万人もの人々が、食料、衣料を待ちわびて生活しています。 

私自身は、あなた方と同じようにここニューヨークにおり、被災は免れましたが、県庁職員の父親、養護教諭の母親が震災直後から周りの人を助け、友達が助けを求める中、何もせずにただここに立っていることは出来ませんでした。 

単純な計算ではありますが、私たちニューヨーク市民の1人1人が1ドルの募金をすれば、その募金総額は800万ドルにもなります。 

私に出来る事はこの短いスピーチをする事位のものですが、あなた方が出来る事は日本にとって大きな助けになるはずです。 

私の友人、国を助ける為、どのような金額でも構いません、どうかお力添えをお願いします。 
ご拝聴有難うございました。」